「神岡軌道の謎」が解決!   Leave a comment

「神岡軌道の謎」がやっと解決しました。

「謎」とは?

平成になって発行された鉄道書籍やネット上での「神岡軌道」の記事のほとんどは、「昭和2年の馬車から内燃動力の転換時に762mmから610mmに改軌された」と記されています。平成21年3月に発行された「神岡町史 通史編Ⅰ」も同様です。

この762mm→610mmの改軌は実際にあったのでしょうか?

この謎の解決の糸口になったのがF氏から頂いた「三井金属修史論叢 第4号」(昭和45年9月)に掲載されている「奥飛騨の交通発達史(中)奥田静平著」でした。奥田静平氏は昭和7年に神岡水電に入社され、その後三井金属鉱業所運輸係長を務められ、平成4年に第三セクター神岡鉄道を退職されました。三井金属修史委員会事務局員として編纂に関われています。

「奥飛騨の交通発達史(中)」を要約すると、明治43年、土-杉山にはじめて馬車軌道が設けられ、12ポンドレールを使用し、軌間は1.6フィートであった。大正4年3月、杉山-笹津に馬車軌道が開通、16ポンドレールを使用し、軌間も2フィートとした。これと同時に土-杉山の軌間も1.6フィートから2フィートに改造した。大正9年に鹿間-土を玉村索道から馬車軌道に切り替え、鹿間・笹津はすべて馬車軌道で結ばれた。大正12年5月16日付で神岡鉱業所長西村小次郎へ特許状公布された。(神岡軌道として、11年8月はなばなしく発足・・・と記してあるが12年8月の間違いと思われる)大正15年5月10日、神岡水電株式会社から発電工事の資材運搬用の名目で2トンガソリン機関車が1台提供され試用、線路勾配や曲線、隧道掩蓋等の支障の有無などを調査し、昭和2年4月15日から東京の鈴木組に鹿間-猪谷を3.5トンガソリンロコ5台で運搬を請け負わせた。昭和3年、ロコの運転を直轄し、神岡軌道の経営を神岡鉱山株式会社名義とした。(注:神岡鉱山名義変更は昭和2年3月7日の誤り)同年、3.5トンロコ6台を購入し、猪谷-笹津にも動力車を入れて東町-笹津の全線が機械化された。昭和5年11月、国鉄飛越線が猪谷駅まで開通した。昭和6年8月神通川橋梁の架設が完成して東猪谷-西猪谷が開通し、東猪谷-笹津の軌道が廃止された。昭和6年9月、軌道業務いっさいが神岡水電に移管された。以下略

上記の内容から大正4年の土-笹津の馬車軌道開通時に軌間は2フィート(610mm)に統一され、762mmの馬車軌道は存在しなかったことになります。

762mm→610mm改軌説の元になったものは何か?

和久田康雄著「資料・日本の私鉄」昭和43年6月25日 初版を見ると

SN00004

大正12年7月21日 神岡鉄道(個人)2′6″となっています。

同じく、和久田康雄著「新版資料・日本の私鉄」昭和47年6月20日でも

SN00006

同様に2′6″です。

ところが、私も今回初めて気づきました。

「新版資料・日本の私鉄」に添付されていた訂補表に

SN00007

神岡軌道の「2′6″」が「2′0″」に訂正されていました。

これにより、大正12年7月21日 神岡軌道(個人=西村小次郎)は2′0″で開通したこととなります。

なお軌道特許状の公布は大正12年5月16日となっています。

SN00009

この「資料・日本の私鉄」が762mm改軌と記載した原因となっていました。

大先輩Y様からこの軌道特許状には軌間は2呎(フィート)と明記されていたとご連絡をいただきました。

西村小次郎から神岡鉱山株式会社名義への変更は

SN00010

昭和2年3月7日付

東猪谷-笹津の廃止の許可は

SN00008

昭和6年7月20日付となっていました。

以上、私の調査においては762mmから610mmへの改軌はなかったと記しておきます。

関連して「オストロ・ダイムラー製ガソリン機関車」の初期型(鳥井昌一郎のアルバムから)

 

神岡軌道S12.12頃

2次型(凸形)の走行写真は

SN00011

三井金属修史論叢第5巻「神岡水電株式会社の回顧」に掲載されています。

第3巻の奥飛騨の交通発達史(上)は国鉄神岡線が出来るまで

第5巻の奥飛騨の交通発達史(下)は明治時代前の飛騨の交通史

となっています。

是非、お近くの図書館でご覧ください。

もうひとつの謎

神岡軌道S11年11月15日5

日の丸を掲げたダイムラーが帽子を被った男性を満載したトロッコを牽引する風景

撮影は昭和11年11月15日、右側の線路を歩いているのが鳥井昌一郎です。

何のお祝いかと言うと、神岡水電軌道 六郎-浅井田の竣工式でした。

鉄道統計資料によると六郎-浅井田の開業は昭和12年6月22日となっています。

SN00012.png

昭和11年11月15日が竣工式の根拠は神岡町史 資料編 近代・現代Ⅰ(H16.1.15)に掲載されている神岡水電軌道竣工式(船津町長 柴田秋平)の祝辞でした。11月24日には金木戸林道(森林鉄道)の竣工式も行われました。

以上、神岡軌道の謎解きをしました。

鉄道史、企業史を編纂された方々のご苦労に感謝いたします。また、資料の提供とご指導いただ方々にも御礼を申し上げます。

国会図書館デジタルコレクションには興味深い資料が豊富にあり、探し出す楽しみがありました。

新しいことが見つかりましら、また報告させていただきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

広告

くるまや軽便鉄道 による 神岡軌道, 昔の写真 への投稿 (2016年1月17日)

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。