大正12.9.1東京大震災 上野広小路附近震災後の惨状
撮影方向は不明ですが、市電の架線が交差しています。
道路に立っている目線(路面+1600mm)より、高い位置から撮影されています。
古地図にあわせて地図の方向を変えてみました。
上野3丁目付近の道路の曲りは昔と変わっていません。
大正12.9.1東京大震災 上野広小路附近震災後の惨状
撮影方向は不明ですが、市電の架線が交差しています。
道路に立っている目線(路面+1600mm)より、高い位置から撮影されています。
古地図にあわせて地図の方向を変えてみました。
上野3丁目付近の道路の曲りは昔と変わっていません。
皆さんGWはどちらへお出かけですか?
大正12.9.1東京大震災 警視廳を襲いつヽある猛火
地図の折れ目で見にくいですが、日比谷交差点の東側
日比谷赤煉瓦庁舎と呼ばれていたようです。
大正12.9.1 東京大震災 京橋山下橋付近の猛火
大正12年4月5日版の東京市全図で撮影位置を見てみます。
鉄道高架の裏側あたりに帝国ホテルがあるようです。
Mapionで確認しました。
昨日、再度蔵の探索
出てきたものは最新「東京全図」
最新と言っても
新橋停車場
東京駅は「中央停車場 敷地」となっています。ってことは
大正3年より前になります。
日比谷公園と中央停車場は〇で囲ってありますが、当時の書き込みです。
前回の「東京市全図」と「最新 東京全図」はしばらく「高山まちの博物館」へ撮影のためにお預けしました。
今日の話題は「東京市全図」
昨日、さがし物のために蔵に入りました。目的のものは見つかりませんでしたが代わりに「東京市全図」がありました。
蔵は普段土扉を2枚閉め、さらに内側に障子戸、まったくの暗闇になっています。そして木箱の中に和紙袋に入れてありましたので、まったく日焼けしていません。
それでは一部分ですがアップしてみます。
大正12年4月5日訂正17版発行 となっています。これは関東大震災(9月1日)の約5か月前、1923年ですから今から90年前の地図になります。
「番地入」となっていますので、いろいろなことに役立ちそうです。
「赤線」は市電です。すでに東京市には市電が網の目に走っていたことが分ります。
東京 電車・自動車 早見図 山の手線は開通していません。
裏面は観光案内になっており、先日の東京駅は
東側からの写真です。
こまかな文字で、名所案内も書かれていました。
当分は蔵から出して手元に置き、調べごとに使います。
本棚の誇り除けに被せてあった新聞は明治後期のもの、蔵の中は時間が停まっていました。