1枚の絵葉書に関東大震災の被災前後の写真が印刷されています。
浅草十二階 消失前と焼失後
しばらく絵葉書シリーズが続きます。
1枚の絵葉書に関東大震災の被災前後の写真が印刷されています。
浅草十二階 消失前と焼失後
しばらく絵葉書シリーズが続きます。
皆さんGWはどちらへお出かけですか?
大正12.9.1東京大震災 警視廳を襲いつヽある猛火
地図の折れ目で見にくいですが、日比谷交差点の東側
日比谷赤煉瓦庁舎と呼ばれていたようです。
大正12.9.1 東京大震災 京橋山下橋付近の猛火
大正12年4月5日版の東京市全図で撮影位置を見てみます。
鉄道高架の裏側あたりに帝国ホテルがあるようです。
Mapionで確認しました。
今回ご紹介するのは
大正12.9.1 東京大震災 吉原遊郭の惨害實況
すでにほとんど燃え尽きています。足元にあるものは格子でしょうか。
熊本地震で被災された皆様にお見舞いを申し上げます。
地球は生きていていることを感じます。現在の地球の姿は過去から未来への中継点に過ぎず、私たちはその瞬間に暮らしている。
フォッサマグナは学校でも学びますが、中央構造線も日本を上空から見下ろせばはっきりと見えてきます。今回の地震は中央構造線の西の端(大分~熊本構造線)で発生しています。これ以上、連動しないことを願います。
遠山森林鉄道を訪問される時には、「大鹿村中央構造線博物館」も見学されることをお薦めします。
鳥井昌一郎の資料の中に「福島甲子三の大正10年立春の挨拶状」がありました。
「福島甲子三」で検索をしたら、玉湖神社「たまのうみじんじゃ」を作った人物と知りました。
大正辛酉年とは大正10年です。
関東大震災前のこの葉書が残っていたのは、「駒込西片町10」現在の文京区西片町が震災での焼失を免れたためです。
「福島甲子三」から「村山貯水池」「駒込富士神社」「東京府水道局」「東京瓦斯株式会社」「湯島聖堂」「渋沢栄一」などへつながってきます。
歴史探索は面白いです。
毎日、余震が続いているようです。お見舞いを申し上げます。
3月12日付けのブログに書きましたが、震災の前日、地元の地震観測所の修繕工事をしました。
その地震観測所は「防災科学技術研究所」の関連施設です。余震が続いていますので、内容が少し古くなってしまいましたが、研究所の岡田所長の発表記事が今回の大地震についてたいへんわかりやすく解説されています。一度、読んでみてください。
http://www.bosai.go.jp/news/oshirase/20110323_01.pdf
早く余震が収まることを祈ります。